MAD IMAGEサイト説明文
ミヅマアートギャラリーでは、2025年9月12日(金)より、名もなき実昌と梅沢和木の共同キュレーションによるグループ展「MAD IMAGE」を開催いたします。
本展覧会では、インターネット上のイメージや情報、コミュニティを作品の主軸とする、名もなき実昌と梅沢和木の視点から、世代やジャンルを超えた総勢16名のアーティストによるペインティング、立体、映像、サウンドインスタレーションなどが混在する、多彩な表現をご紹介いたします。
あらゆる人々がデジタルの恩恵を享受する現代において、なお表現することをやめずに生きるアーティストたちの姿は、「いま」という時代の精神を映し出しながら、私たち自身の感覚や思考の輪郭をも浮かび上がらせます。
彼らが表現する“時代が息づく鼓動”を、是非会場にてご体感ください。
【出展者(アーティスト名や団体名)】
息継ぎ、imoutoid、梅沢和木、OIRA、奥村美海、GILLOCHINDOX☆GILLOCHINDAE、ク渦群、劇団イヌカレー・泥犬、渋田直彰、名もなき実昌、竹久直樹、脳極結仁、長谷川明日煕、福地英臣、八木幣二郎、Yamato Yoshioka
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《名もなき実昌 ステートメント》
2024年7月、リトアニアの美術館に招かれた僕と梅沢は、展示設営の夜、バルでミヅマアートギャラリーの三潴さんたちと夕食を囲んでいた。ミヅマアートギャラリーは、僕が生まれた1994年に開廊していて、孫ほど年が離れた僕たちの見ている美術の状況にも熱心に耳を傾けてくれた。時に議論を交えながら、会話は自然と弾んでいった。
「だったら、二人でキュレーションしてよ。見たことないやつを。」
ぽつりと、三潴さんはそんな言葉を僕らに投げかけた。
その夜、僕らは展示の企画について話し出した。大枠は不思議とすぐにまとまった。
MADと呼ばれる文化がある。主にインターネット上で、既存のアニメやゲームなどの映像・音声を編集して作られた二次創作作品を指すこの言葉は、少なくとも1990年代以降、アングラな創作として営まれてきた行為だ。現在では、商業的な領域にまで侵食している。本展ではこの「MAD文化」を起点に、解体と再構成という創作の営みについて考えてみたい。日常のなかでは、分断や断絶が繰り返され、私たちはもはや、整合的な「ひとつの世界」を描くことが難しくなっている。今回の展示に参加する人たちは、10代から50代まで、絵画、映像、アニメーション、グラフィック、音楽など多様な領域にまたがる16名。 彼らの実践には、分断された時代の欠片をつなぎ直しながら、「現在」をほんの一瞬でも立ち上げようとするような、切実な身振りがある。そんな営みこそが、今の時代を映し出すのではないだろうか。
最後に、この展示を企画した僕自身の話を少しだけ書いておきたい。僕が美術に興味を持ち始めたのは、ちょうど2011年ごろだった。それまではアニメと考古学が好きな、ただの高校生だった。福岡の前衛芸術運動に関心を持ち始めてから、さまざまな美術雑誌を読み漁り、どんどん美術の世界にのめり込んでいった。
共同でキュレーションをしている梅沢を知ったのも、この頃だ。
今となっては、これらをまとめ上げるような語りや熱気のようなものも少なくなった気がする。唯一マーケットだけが共有地のように広がっているが、そこでは何かが繋ぎ直されることもない。
そんな状況ではあるけれど、この閑散とした共有地で、何かできることを考えたい。けれど、それには、少し時間がかかるかもしれない。だから、ちょっとだけ休めるための小屋を建てよう。ちょうどバラックくらいの、腰をおろして思いをめぐらせるための場所を。
《梅沢和木 ステートメント》
本展覧会は、2024年のリトアニア国立美術館での展示にて、名もなき実昌と梅沢和木が三潴ディレクターと話し合う中で大枠が決まった。元々は名もなき実昌一人によるキュレーションの予定だったものに、梅沢和木が追加された形だ。
この二人がミヅマアートギャラリーでキュレーションを行うということ、また、自分自身も出品して参加すること自体に意義がある、と踏まえた上で、作家の選定に協力した。それは「文脈」や「歴史」以上に、今これが見たいという個人の欲望を受け止めた上での決断だったとも言える。現時点でのその判断に責任を負いたいと思う。
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